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2008.12.23
俺が許しても川西信吾が許さない
2008年も余す処は一週間程度である。新年の一月と云う奴は週に於ける月曜日の様に気怠く、死にたくなる迄に新鮮な空気を世間全体が醸し出すので、私は大嫌いだ。ましてや自閉症の私である、当学部教職課程講義の`不登校生徒指導手法`にもあるように、月曜日は不登校生徒にとり最も学校に行きたくない日だとすれば、暦一月は私みたいな根暗な人間からすれば最も鬱陶しい月なのである。考えただけで立ち眩みがしそうなので、前向きに後ろ向きになって2008年を此処で振り返りたい。一月は早稲田大學三科目受験を視野に入れた為、数学・化学・地理と云った苦手科目から完全に訣別でき、途轍もない自由感を味わいながら思い切り勉強できた月であった。二月は高校卒業と共に大學進学が決定した月であり、初めて早稲田界隈・高田馬場界隈・早稲田大學を目の当たりにした時は非常に狭い街・大學だなと思ったものである。三月と云えば国公立受験組の結果が判然とした月で、私は受験が終わっても慶應義塾大学の英語をひたすら解き続けていたと思う、早稲田に受かった事が全く嬉しくなかったので私は受験勉強だけは四月まで続けていたのだ。四月からは大學生活が始まる筈であったけれども、始業式・オリエンテーション等には一切出席せず早速授業開始から三日間不登校に入った。素晴らしい幕開けである。四月五月で友人を幾人か作ることに成功し、K会に入り、東京界隈全域の具合を確認すべく山手線を徒歩で周回する散歩に出た。六月辺りはひたすら友人を部屋に招いて一緒に飯を食ったり作ったりしていたっけ、初めて女性を部屋に連れ込まれたのもこの時期であり、私は当時`黒髪の女以外は女と認めない主義`なんかを固持していた、何とも堅気な男だったもんだ。七月は隅田川花火大会の出来事が記憶に灼き付いている。八月は葬式に参列し、優しくしてくれた伯父の遺体と向き合った。バイトを始めたのもこの月だっけ。そして、こんな私には勿体ない位の素敵な女性と御付き合いを始めさせて戴いたのもこの月だ。九月十月十一月十二月辺りはその素晴らしい女性が作ってくれた想い出で一杯である。諸兄各位にもこの一年を通し、ありとあらゆる形で迷惑を掛けた、その無礼を新年を迎える前に此処で詫びておきたい。そして新年もどうか何卒私と云ふ名の俗物.comと川西信吾を宜しく御願いしたい。・・・話を戻そう、2008年は途轍もなく、私には忙しい年であった。肉体的にそんなに動いてはいない筈だ。頭もそれほど動かした覚えはない。ただ、私が直立不動で立ち止まってはいても、雪崩洪水の様な新情報が毎日外部から押し寄せてくるものだから、非常に息苦しい一年であった。特にそれは女性に対しての態度についてであるだとか、私のかつての友人には今迄存在した試しがないくらいに常識的な生き方をする男性諸氏との距離の取り方についてであるとか、自活についてとか、そう云ったことだ。これらが私には新鮮過ぎて、馴れるのに相当量の時間を貰った年であった。平平凡凡とした一年では決して無かった。ただ新鮮であり、そこに驚きやら予想外の事も特に無く、「あぁ、これってこういうものなんだ」って云う認識をひたすら繰り返すのに必死だった一年間だったのである。私は別にこれを誰かの所為にしたい訣ではないのだけれど、やはり男子校六年間在学って環境は否定し難い位に私の行動言動に些大作用し、そして感覚が相当異常になっていたようである。それを痛感させられた2008年であった。諸兄各位には「何でもイイから御前っぽい活動しろや」と何度も神戸から御電話で叱咤されていたけれど、私は入学当時から大学一年生時はできるだけ大人しくして周囲環境に適合する事を目標としていた(詰まり、大學って母体自体に私と云う分子が合わないことを漠然と予感していた)ので、その目標は達成されたから今年は不満足な豚のように満足であると言える。反省点も盛り沢山。2009年を迎えるのにはまだ時間があるから、もっと自分が何してきて何ができてないか振り返る。好い加減、成り行きから脱しなければ。
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